世界中を駆け巡るシンガーソングライター、ヴォーカルにギターとパーカッションをこなし、英語、スペイン語、フランス語、クレオール、日本語という5ヶ国語を自由に操り、語り、歌う。ケンジャは、Paris に生まれたが、なぜかずっと旅をしている。父 親が人類学者で且つ画家でもあったため、一家は、フランスではニオール、ボルドー、モンぺリエ、カンヌ、パリに、そして外国ではサンフランシスコといった大都市ばかりを転々をしていた。

ほんの小さな子どもの頃から、ケンジャは音楽に夢中だった。初めての楽器はピアノで、アカデミー・クラシックのルイール先生にクラシックピアノを9歳~15歳まで習い、ギターは独学で勉強した。 パリ・ソルボンヌ大学に2年間在籍した後、小さい頃大好きだった「音楽」にもう一度取り組もうと決心し、1996年パリの音楽学校「ATLA」に入学した。そこでヴォーカルの即興、和声、作曲、世界各国のパーカッションなどプロとして自己を確立するための教育を受けた。また、数 多くのマスタークラスに参加し様々な音楽に出会った。ATLAを卒業し免状を取得した彼は、友達のギタリストZeel YADALEEの招きに応じて、モーリシャス島を初めて訪れたのだが、これが、アフリカ、ヨーロッパ、アジアを巡り、10年以上をかけて、いわゆるワールドワイドな音 楽を学ぶ旅の第一歩となったわけである。

オランダ/デンマーク

様々なアーティストと出会って、様々なフェスティヴァルに参加するようになり、1997年には、夏に何千人もの聴衆を集めるROSKILDE FESTIVALやSKAGEN FESTIVAL(デンマーク)のコンサートに出演、特筆すべきはRADIOHEADグループとのパーカッション共演であろう。また、アムステルダムのROOTS FESTIVAL 2000では、モーリシャス・セガのパフォーマンス(モーリシャスの太鼓RAVANNEと歌)を披露している。
また、デンマークのロンストルップ、スカーゲン、エベルトフ、エスビエル、オールフス、オーデンセ、コペンハーゲン、クリスチャニアの各都市をまわる「BROTHER WORLD」ツアーも行った。

フランス/スペイン

南フランスのモンペリエ、サンラファエル、スペインのバルセロナ、サンセバスチャン等で過ごした数年間で、ケンジャはラテンやヒスパニック・ミュージックに対する豊富な知識を自然と身につけていった。日曜日毎に、古くからある小さな町の泉のまわりに集まってはフラメンコやジプシーの音楽を演奏したり歌ったりしている地元の年老いたジプシーたちに心惹かれたのは当然のことであった。そうして、ケンジャは数え切れないほどの時間を過ごし、瞑想し、耳を傾け、彼らのエスプリやテクニックを分析し分解することに時間を費やした。それから長い年月をかけて、それらのリズムやハーモニーを、セゲエ・スタイルの中に溶け込ませていったのである。18歳の時パリに上京した彼は、70年代サイケデリック・ロックを代表するグループ(Pink Floyd, the Doors, King Crimson, Led Zeppelin)を知ることとなる。1996年、音楽の専門学校「ATLA」に入学したケンジャは、le New morning , La Cigale, l’Elyse´e montmartre, le Hard rock cafe´パリの有名クラブで、様々な形で演奏していくようになった。ケンジャは、MACARENAで世界ヒット曲を作ったエンターテイナーと歌手であるL OS DEL RIOバンドと一緒に(マルベーヤ、セビーリァ、メキシコシティ、プエルト リコ)ツアーを行った。
そして、外国への旅が...

モロッコ/モーリタニア

2001年、モロッコを北から南へ縦断し、ケンジャはモロッコ音楽の真髄に触れた。ダルブーカ、トランス・リズムGWANA、MAALEM MAHMOUD GANIAといったアーティストたちとの出会いによって、ケンジャは多くを学んだだけではなく、新たなインスピレーションの源を得たのだ。モロッコは西アフリカを巡る長い旅の最初の地となり、モーリタニアのヌアジブからヌアクショット、サハラの一端を通り、シュムからアタールへと旅は続いた。

セネガル

ロッソからダカールを経て、ケンジャは2001年から2002年にかけてセネガルに留まることとなった。北に長居することなく、南の村カフンチヌに移動、そこで一年間を過ごし西アフリカ伝統の太鼓(DJEMBEとBUGARABU)を学んだ。偉大なジェンベ・フォラのケイタ師や地元のグリオ(西アフリカの口承伝承者)たちのレッスンを数多く受けた。その後、首都ダカールでは、西アフリカの他の音楽グループSEKOUBA BANBINO、TOUMANI DIABATEやYOUSSOU N DOUR等と出会った。この驚くべき旅はケンジャに多くのものをもたらし、彼の音楽的コンセプトやアプローチは根底から覆され、大変革の旅となった。

モーリシャス島

22歳から25歳。ケンジャはモーリシャス島に移り住み、特にボー・バッサンのセガティエたちにセガを学んだ。セガの中心的楽器RAVANE(大型の太鼓)をマスターすべく厳しい練習を重ねた。この楽器で、RACINE NOU ANCETRESやRICARDO LOUISなどのモーリシャス・ミュージックのグループと数多く共演するとともに、様々なサイズのRAVANEを自作できるようになった。セガとレゲエを融合させモーリシャス音楽のセゲエを作り上げたKAYA。ケンジャのインスピレーションのモデルでもあったKAYAのあまりにも突然で暴力的な暗殺による死は、ケンジャを打ち砕いた。そして、彼は自分の人生とインスピレーションを、この師のメッセージを広めることに捧げようと決心したのである。

インドとネパール

ケンジャはインドに一年間滞在し、旅を重ねた。バラナシで「パフォーミング・アーツ」のインド伝統音楽へのアプローチを学び、PANDIT LAL MANI MISHRAとPREMLATA SHARMAのマスタークラスを受講する一方、SANKAT MOCHAN 2003(バラナシ)にも参加している。その後、ラジャスタンへと旅行を続け、首都ニューデリーに滞在した後、宗教のみならず芸術の聖地ともいえるヒマチャルプランデーシュ地方のダラムサラ(ダライラマの一時的居住地にして数多くの国際的アーティストが老後を過ごしている)に移り住んだ。ケンジャはチベットの避難民のためのチャリティーコンサートに数多く参加した。
次いで、ネパールではカトマンズからポカラへと旅をして、ネパール音楽のエッセンスを求めヒマラヤにも足を踏みいれた。

日本

ケンジャは現在日本の北海道札幌に住んでいる。そこでは、この音楽性を追い求める長い旅を形にしようと試みている。ファーストアルバム「UNDERCOVER」(SEGGAE BOY STUDIOS、2007年)を制作。音楽に生き、コマーシャルやゲーム(任天堂)、テレビシリーズ等に歌を提供したり、日本のホールでライブを行っている。(教育文化会館、F45ホール、MOLE CLUB、KING WHMU、モエレ沼ピラミッド等)また、NGOのライブ等にも出演している。JAMWORDSというワールド・ミュージックのオリジナルサウンド(レゲエ、セゲエ、アフリカン・トラディショナル、ジプシー・ラテン等)をレパートリーとするセネガル・パーカッショングループを主宰。

ケンジャは現在、「REGGAE SEGGAE」「ETHNIC」「CHANSONS FRANCAISES」という3つのアルバムを制作中。日本のミュージック・シーンで活躍を続けている。

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